2.1 運動機能はなぜ最初に置き換えられるのか
身体の中で、最も早く代替の対象になったのは運動機能である。 これは偶然ではない。
運動は、目的が明確で、結果が測定可能で、 力学モデルに落とし込みやすい。 曲げる、伸ばす、支える、移動する。 そこに含まれる意味は少なく、 求められるのは再現性と耐久性である。
そのため、 関節、筋、骨の役割は比較的早く機械化された。 人工関節、義手、義足は、 「動く」という目的において、 生体との差を急速に縮めていった。
ここで重要なのは、 運動機能が人格や価値判断と 直接結びついていないという点である。
手が強くなっても、 足が速くなっても、 その人が何を望み、何を選ぶかは変わらない。
だから運動機能は、 人間の中心から最も遠い位置にある身体機能 として、最初に置き換えられた。
2.2 人工関節・義肢が示した「単純な機能」
人工関節や義肢の発展は、 身体のどの部分が「単純な機能」と見なされるかを はっきりと示した。
単純というのは、 価値が低いという意味ではない。 理論的に分解できるという意味である。
関節は、 角度、負荷、摩耗という変数で記述できる。 義肢は、 入力と出力の対応関係として設計できる。
そこに記憶はない。 履歴はあっても、意味はない。 だから交換が可能になる。
この事実は、 身体に対する意識を静かに変えていく。
一度でも人工関節を入れた人は、 「身体は不可侵のものではない」 という感覚を、 理屈ではなく体験として理解する。
ここから、 身体は少しずつ 「与えられたもの」ではなく 「管理される構造物」へと移行していく。
2.3 内臓はなぜ難しいが、理論的には可能なのか
運動機能の次に問題となるのは内臓である。 内臓は、運動よりはるかに複雑である。
そこには、
- 化学反応
- 流体制御
- 電解質バランス
- ホルモン調節
といった、 複数の制御系が重なっている。
そのため代替は難しい。 しかし、難しいだけで、 原理的に不可能ではない。
人工心臓、人工腎臓、人工膵臓。 これらはすでに部分的に実現しており、 問題は理論よりも、 長期安定性と統合制御にある。
内臓もまた、 人格や価値判断を担ってはいない。 その役割は、 生命を維持するための環境調整である。
したがって内臓は、 高度に複雑だが、意味を持たない機能 として、いずれ代替の対象になる。
2.4 身体が「構造物」になるという感覚
運動機能、内臓機能が 理論上は代替可能だと理解されたとき、 身体の捉え方は根本的に変わる。
身体は、 「私そのもの」ではなく、 「私を支える構造」になる。
それは冷たい感覚ではない。 むしろ実務的で、落ち着いた感覚である。
家の柱を補強するように、 部品を交換し、 性能を保つ。
この段階で、 身体は少しずつ モノとして扱われ始める。
しかし、 すべてが同じように扱えるわけではない。
次の章で扱う感覚器は、 この流れの中で 独特の位置を占める。
眼や耳は、 代替できるようでいて、 どこかで線が引かれる。
その線は、 身体と世界の境界に関わっている。