6.1 ソフトとハードが分離できない臓器
脳が特別に扱われる理由は、 感情的な神秘性ではない。 構造的な違いである。
多くの機械は、 ハードウェアとソフトウェアを分離できる。 同じプログラムを、 別の筐体で動かすことができる。
しかし脳では、 この分離が成立しない。
記憶は、 どこかに保存されたデータではない。 それはシナプスの結合として、 物質そのものに刻み込まれている。
学習とは、 ソフトの更新ではなく、 ハードの再配線である。
このため、 脳を「入れ替える」「コピーする」という発想は、 原理的な困難を抱える。
脳は、 情報処理装置であると同時に、 履歴そのものだからである。
6.2 記憶・人格・履歴が焼き付いた物質
脳の中には、 「空白の部分」はほとんど存在しない。
どの回路も、 過去の経験によって形作られ、 使われ方の癖を持っている。
この癖こそが、 人格であり、 判断の傾向であり、 世界の見え方である。
ここで重要なのは、 これらが 後から貼り付けられた属性ではない、 という点だ。
記憶や人格は、 脳に「乗っている」のではない。 脳として存在している。
だから脳を交換すれば、 経験の連続性は断たれる。 どれほど高性能な代替物であっても、 それは別の存在になる。
この一点で、 脳は他の臓器と明確に区別される。
6.3 脳だけでは生きられないという現実
一方で、 脳が中心だからといって、 脳だけで成立するわけではない。
脳は、 極端に代謝要求の高い臓器である。
酸素と糖が わずかに途絶えただけで、 機能は急速に失われる。
したがって脳は、 循環、呼吸、恒常性維持という 環境を必要とする。
ここで重要な区別が現れる。
- 身体は「私」ではない
- しかし身体は「私の前提条件」である
脳は主体だが、 主体単独では存在できない。
この現実は、 「脳だけがあればよい」という 単純な還元を拒む。
6.4 脳を生かすために最低限必要なもの
では、 脳を生かすために 最低限必要なものは何か。
それは、 人の形をした身体である必要はない。
必要なのは、
- 安定した循環
- ガス交換
- 栄養供給
- 老廃物の除去
- 温度と電解質の制御
つまり、 生理的条件である。
ここまで削ぎ落とすと、 身体はもはや 「私」ではなく、 脳を成立させる環境になる。
この視点に立つと、 人間の最小構成が見えてくる。
それは 「脳+それを生かす条件」 であり、 それ以上の部分は、 交換可能な実装である。
しかし同時に、 この極限モデルは、 人に一つの問いを突きつける。
それでも、 人は脳だけの存在として 生きたいと思うのか。
次の章では、 この問いに最も近づいた 極限の実例を取り上げる。