公開日 2026年1月24日
内容紹介
本書『交換可能な身体と交換できない私 ― 技術が進んだ先で残る人間の条件』は、AIとの対話という現代的な体験を出発点に、身体・脳・意識・欲望を一本の思考線で貫く人間論である。思考の外部化としてのAI、人工関節や義肢に代表される身体機能の代替、感覚器の装備化と商品化。技術の進歩によって、かつて不可侵と考えられてきた身体は、次第に交換可能な「もの」として扱われるようになった。しかしその一方で、すべてを置き換えてもなお失われないものがある。それが「私」という感覚である。
本書は、iPS細胞による再生医療や、身体機能をほぼ機械に委ねた実在の人物の試みを通して、脳がなぜ特別な位置を占めるのかを冷静に検討する。脳は中心であるが、脳だけでは人間は成立しない。経験の連続性、世界との関係、意味を引き受ける主体性――それらが重なり合うところに「私」は立ち上がる。
身体が自由になり、できることが当たり前になる社会で、人は何を欲し、何に不安を抱くのか。技術礼賛でも悲観でもなく、現実に耐えうる境界線を見極めながら、本書は問いを閉じない。技術がどれほど進んでもなお残る、人間の最小条件を静かに照らし出す一冊である。
目次
0.1 思考を外部に置くという経験
0.2 AIは「考えている」のか、それとも装置か
0.3 自分の思考の一部を外に持つという感覚
0.4 この問いが、なぜ身体の問題へ向かうのか
1.1 道具・文字・計算 ― 思考と機能の外部化の歴史
1.2 体力・感覚・記憶はどこまで外に出せるのか
1.3 外注できるもの、できないもの
1.4 外注が人間性を奪わなかった理由
2.1 運動機能はなぜ最初に置き換えられるのか
2.2 人工関節・義肢が示した「単純な機能」
2.3 内臓はなぜ難しいが、理論的には可能なのか
2.4 身体が「構造物」になるという感覚
3.1 眼と耳は、すでにカメラとマイクである
3.2 感覚器と感覚野の決定的な違い
3.3 見ているのは目か、脳か
3.4 「感じる」という体験はどこで生まれるのか
4.1 交換可能になった瞬間、価値は変わる
4.2 ベンツの足、ツァイスの目という世界
4.3 性能・価格・ブランドで語られる身体
4.4 身体が商品になる社会で起きること
5.1 iPS細胞が変えた生命観
5.2 生体の再生成は、なぜ機械とは違うのか
5.3 すべてを換えても「私」と言える理由
5.4 経験の連続性という唯一の条件
6.1 ソフトとハードが分離できない臓器
6.2 記憶・人格・履歴が焼き付いた物質
6.3 脳だけでは生きられないという現実
6.4 脳を生かすために最低限必要なもの
7.1 身体をほぼすべて機械に委ねた一人の科学者
7.2 成功と限界が同時に示されたという事実
7.3 精神的葛藤はどこにあったのか
7.4 自分なら耐えられるのか、という問い
8.1 若返ったと感じる身体
8.2 できることが当たり前になった社会
8.3 人はできないことを過大評価する
8.4 欲望はどこへ向かうのか
9.1 身体をすべて換えても残るもの
9.2 脳は「中心」だが「すべて」ではない
9.3 意識はどこに宿っているのか
9.4 なぜこの問いは消えないのか
10.1 技術が進んでも変わらない条件
10.2 人間はどこまで装備化されるのか
10.3 それでも残る「私」という感覚
10.4 思考を続けるための問いとして