8.1 若返ったと感じる身体
身体の多くが代替され、更新され、 性能として最適化されると、 人はしばしば「若返った」と感じる。
動ける。 見える。 疲れにくい。 痛みが少ない。
これらは確かに、 老化がもたらしてきた制約からの解放である。
しかしこの若返りは、 時間を巻き戻したものではない。 経験の量は減らない。 記憶は消えない。
若返ったと感じるのは、 身体の可能性が回復したからであり、 人生がやり直せるからではない。
このズレは、 次第に意識される。
8.2 できることが当たり前になった社会
すべての人が、
- 遠くまで移動でき
- 長く活動でき
- 感覚の制限を受けない
世界では、 それらは価値にならない。
できることは、 評価の対象から外れる。
速く走れること。 よく見えること。 強い身体を持つこと。
それらは 「条件」になる。
このとき社会は、 別の基準で人を見始める。
8.3 人はできないことを過大評価する
できることが均一になると、 人はできないことに目を向ける。
選ばれること。 誰かに必要とされること。 他者にとって特別であること。
これらは、 性能で埋められない。
だから技術が進むほど、 欲望は原始的に見える方向へ集約される。
恋愛。 性的魅力。 承認。 関係性。
これは退化ではない。 選別不能な領域への回帰である。
8.4 欲望はどこへ向かうのか
身体が自由になった世界で、 欲望は消えない。
むしろ、 焦点が鋭くなる。
- 比較できないもの
- 買い替えられないもの
- 仕様に落とせないもの
そこに、 人は意味を見出す。
この事実は、 本書全体を貫く一つの結論を 静かに支えている。
身体がどれほど変わっても、 技術がどれほど進んでも、 人間は意味を求める。
そしてその意味は、 最後まで 「脳」と「関係」のあいだに残る。
次の章では、 ここまでの議論をまとめ、 交換可能な身体と、交換できない中心 を明確にする。