本書は、答えを出すために書かれたものではありません。 むしろ、問いがどこまで耐えられるのかを確かめるために書かれました。
AIとの対話という、きわめて現代的な経験から始まり、 思考の外部化、身体の代替、商品化、 そして脳という最後に残る別物へと、 議論は少しずつ領域を広げてきました。
振り返ってみれば、 扱ってきたのは常に「限界」でした。
どこまで外に出せるのか。 どこまで置き換えられるのか。 どこまで失っても、私でいられるのか。
技術は、これからも確実に進歩します。 身体はさらに自由になり、 制約は減り、 多くのことが「できて当たり前」になるでしょう。
しかし、そのとき人間が直面するのは、 新しい問題ではありません。
むしろ、 これまで曖昧にしてきた問いが、 避けられなくなるだけです。
―私は、何をもって私なのか。
―何が失われたら、もはや引き受けられないのか。
本書では、 脳が中心であることは否定しませんでした。 同時に、 脳だけでは人間は完結しないことも、 現実の事例を通して確認しました。
この二つを同時に認めることは、 どちらか一方に逃げるよりも、 少し不安定で、しかし誠実です。
問いを閉じない、という選択は、 不親切に見えるかもしれません。 しかし、問いを閉じた瞬間に、 主体は思考を止めます。
問いが残るということは、 自分で引き受け続ける余地が残っている、 ということでもあります。
もし本書を読み終えたあと、 どこかで違和感が残ったなら、 それは失敗ではありません。
その違和感こそが、 この時代において 「人であること」を引き受けている証だからです。
技術がどこまで進んでも、 問いを立てる場所は、 最後まで一人称のまま残ります。
その場所が残っている限り、 人はまだ、人であり続けている。
そう信じて、 ここで筆を置きます。