第1章 国家は生存体である — 理性ではなく本能で動く


1.1 国家は誰のために存在するのか

国家とは国民の幸福のために存在する、 そう信じたい人は多い。 しかし歴史と現実を見れば、 その考えは事実ではないことがわかる。

国家はまず 自分自身の生存のために存在している。 国民の幸福は、国家の存続に役立つ時にのみ優先される。 国家が危機に陥れば、 その瞬間に自由は制限され、財産は徴収され、 命さえも動員の対象になる。

戦争、徴兵、非常事態宣言、言論統制 ― これらは国家が国民を守るためではなく、 国家そのものが死ぬことを恐れるから発動される。

つまり国家とは、 国民や理念を守る存在ではなく、 自己保存を最優先する生物 である。 この視点を持てば、国家の行動は驚くほど一貫して見える。

国民は国家を信じたい。 だから国家は国民の幸福を語る。 だがその物語は、生存の本能を覆うための語りに過ぎない。


1.2 理念や正義は国家の道具である

国家は自由、平和、正義、民主主義、人権を掲げる。 しかし実際に国家を動かしているのはそれらの理念ではない。 理念は、国家の生存と利益を正当化するための 装飾 である。

戦争はいつも理想の名の下で行われる。 「平和のため」「解放のため」「正義のため」 だがその裏では、 資源の確保、安全保障、領土的影響力の拡大といった 国家の生存意図が働いている。

理念で国家を説明しようとすると行動が矛盾して見えるが、 国家を “生存体” として見れば、 その矛盾はすべて整合する。

国家は理念で動くのではなく、 理念を利用して自分を動かす。


1.3 秩序は法ではなく力で決まる

国際秩序は法によって守られていると言われるが、 それは虚像であり、 実際には 力によって秩序は成立している。

法を破る国家を処罰できる仕組みは存在しない。 国際法は宣言の体系であって、 権力の裏付けを持たない。

戦争が起きないのは法があるからではなく、 戦争が割に合わないから であり、 これを決めているのは 軍事力・核抑止・経済圧力・相互依存といった 力の構造である。

つまり秩序とは理念ではなく 均衡 によって成立し、 その均衡を崩す力がある国は 法や制度を無視しても罰されない。

国家が法を語るのは、 支配を正当化するため である。 現実を形作るのは力であって、法ではない。


1.4 国際社会は生存競争の場である

国家の関係は、表面上の外交用語とは異なり、 互いが 利益のために利用しあう関係 で構成されている。

友好国、同盟国、パートナーという言葉は、 生存利益が一致している期間だけ成立する。 利益が分かれた瞬間、 同盟は対立へと変わり、 友好は損得勘定に戻る。

この意味で国際社会は 野生の生態系 に似ている。 捕食者と被食者、 共生と競合が常に入れ替わる空間であり、 そこに永続的な善悪や信義は存在しない。

生存の利益を基準に見る人だけが、 国際政治の“裏の地図”を理解できる。


1.5 本質を忘れた国家は弱者になる

国家が理念や議論の世界に酔うとき、 その国家は世界の現実に対する 免疫を失う。

日本やドイツは 「文明国家」「平和主義国家」という物語を信じ、 国家の骨格である 自立性、防衛意識、犠牲の受容を忘れた結果、 経済は強いのに国家は弱い という構造に陥った。

国家の本質とは 自分の生存を自分で守れるかどうかであり、 これが欠けている国は どれほど繁栄しても 本質的には弱者国家である。