カテゴリー: 政治

  • 第10章 弱い国家はどう生き延びるのか


    10.1 弱者国家の生存法は“寄生と適応”である

    国家には強者と弱者がある。 弱者国家は、自分の力で環境を変えられない。 したがって生存の方法は、

    誰かの秩序に寄生し、 その中で利益を得ること

    となる。

    日本、欧州の多くの国、湾岸の都市国家などが このモデルである。 弱者国家の知恵は、 勝てないなら 利用し、適応し、存在を確保する という戦略にある。


    10.2 弱者国家は“守られる代わりに主体を失う”

    安全保障、資源、経済、外交、技術を 他国の体系に依存する国家は、 保護される代わりに 自身の意思を放棄する。

    国家の安全を外部に委ねることは、 究極的には 自国の生死を他者の判断に委ねる という意味である。

    弱者国家の繁栄は 自立の回復ではなく 支配の下での成功形態 に過ぎない。


    10.3 弱者国家の“唯一の武器”は信頼されること

    弱者国家が生き残るには、 強者国家にとって

    便利であり、 裏切らない存在である

    と認識させることが必要になる。

    それは 経済的価値、地政的位置、外交姿勢によって 形成される。

    弱者国家は 軍事力ではなく 信用と従順さを資源として取引する のだ。


    10.4 弱者国家の失敗は“自分を強者と思うこと”

    弱者国家の最大の危険は、 自らを独立国家だと信じ、 自立した判断を下そうとする瞬間である。

    その錯覚が 無謀な外交、誤った挑発、 孤立、制裁、衰退を招く。

    弱い国家が滅びるのは 力がなかったからではなく、 力のない自分を否定した時 である。

    国家は実力に従って生きなければならない。


    10.5 弱者国家の生存には“冷徹な自己認識”が必要である

    弱者国家が生き残るには、 自分は強者ではないと認め、 強者の秩序を利用し、 その中で立ち回る能力が必要となる。

    つまり弱者国家が生き抜くための 最大の武器は、

    現実を直視できる知性

    である。

    その知性を持たない弱者は滅び、 それを持つ弱者は繁栄する。

    日本がこれから生き残るには、 感情でも夢想でもなく、 自国の実力を把握し、 その上で戦略的に振る舞う意志 を取り戻す必要がある。


  • 第9章 資源・人口・領土 — 生存力の3条件


    9.1 国家の強さは“目に見えない土台”で決まる

    国家は軍事力やGDPで測られがちだが、 本当の強さは 生存を支える基盤 にある。

    それは 領土、人口、資源、食料、技術、意志 といった土台であり、 これらが揃って初めて 国家は外部の圧力に耐えられる。

    国家の競争は 理念でも制度でもなく、 基礎代謝の強さの競争 なのだ。


    9.2 資源は国家の命そのもの

    石油、ガス、鉱物、水、肥沃な土地 — これらは経済の材料ではなく 国家の血液である。

    資源を持つ国は 自らの体を回し、 持たない国は 他者の体に依存する。

    だから資源を持つ国は 独立し、 資源のない国は 繁栄していても従属する。

    資源とは 国家が生きるか死ぬかを 決める最も原始的な要因である。


    9.3 人口は生存の“持続力”である

    人口はただの数ではない。 それは 国家の労働力、兵力、技術者、納税者、文化の担い手 を意味する。

    人口が多ければ 国家は時間に耐えられる。 戦争が長引いても 人と生産力は枯渇しない。

    逆に人口が少ない国は 国家が一度揺らぐと 回復できない。

    人口が国家の決定的条件である理由は 時間と災害に耐えられる数 の問題だからである。


    9.4 領土は国家が呼吸する空間である

    領土は 単なる面積ではない。

    そこには 海上交通路、港湾、資源、農地、防衛線、 気候、文化的まとまり、隣国との緊張 といった要素が絡む。

    領土は 国家の呼吸空間であり、 過密すぎても脆弱になり、 展開余地がなければ 圧迫に耐えられない。

    地政とは 領土を通じて 国家がどれだけ自由度を持てるかを 測る学問である。


    9.5 日本は“生存条件の3つが欠けている”

    日本は 技術と経済力に優れた国である一方、 生存の土台が欠けている。

    資源が乏しく、 人口が急減し、 領土は海洋に囲まれ 広くはあるが 生存資源に直結していない。

    そのため日本は 高度な文明国家でありながら、 原始的な生存条件を欠く国家 となっている。

    これは日本が弱いのではなく、 日本が自立できない宿命を 背負っている という意味である。

    この現実を直視することは、 日本人が国家意識を取り戻す 最初の問いになるだろう。


  • 第8章 核とは力の象徴ではなく“生存の覚悟”である


    8.1 核保有の本質は“使う意思”である

    核を持つことは単なる技術問題ではない。 現代の世界は情報が広がり、 理論上は多くの国家が核を作れる能力を持ち始めている。

    しかし核保有の本質は、

    核を使う意思、 そしてそれを統制できる国家意志

    にある。

    技術ではなく 国家の精神構造が 核の所有資格を決めている。


    8.2 核は“国家の最終的な自己決定権”である

    核とは、 国家が最終的に

    自分の生存を自分で決められる力

    を意味する。

    したがって、核を持つとは 国家の運命を他者に委ねず、 死と破壊を含む決断を 自分で下せることと同義である。

    これは最も高度な主権の形であり、 同時に最も重い責任でもある。


    8.3 核が許される国家は限られる

    北朝鮮が核を持てたのは 技術ではなく 核を使える覚悟と 世界が止められなかったことの結果 である。

    しかし北朝鮮は 核を持つ資格を得たわけではない。 核を統制し、 世界秩序を壊さずに維持できる国家だけが、 真の核保有国と認められる。

    その意味で、 核クラブは 実は極めて閉じた構造である。


    8.4 核が扱える国家とはどんな国か

    核を扱える国家とは、 国内が統制され、 意思決定が安定し、 暴走を抑制できる国家である。

    アメリカ、ロシア、中国、フランス、英国、インドは この統制能力を持っていると 世界が判断した国々であり、 だからこそ核保有を認められた。

    逆に言えば 多くの国は核を持てるが、 核を支配できない国だと 世界に見られている ということである。


    8.5 日本の核は技術の問題ではなく“国家意志の問題”である

    日本は 核兵器を作る技術を既に持っている。 ミサイル、原発、衛星技術 — 材料は揃っている。

    それでも日本が核を持てない理由は、 技術の欠如ではなく

    核を持つ覚悟と 核を統制できる国家意志が 存在しないから

    である。

    日本社会は 生存の最終決断を拒絶し、 国家の責任の重さを恐れてきた。

    だから日本が核を持てる日は、 技術が整う日ではなく、 国家として生存の意思を取り戻す日 なのだ。

    その意味で、 核問題とは 日本が国家になるかどうかを問う 究極の試金石である。


  • 第7章 “国際秩序”とは何か — 劇場と裏側の構造


    7.1 秩序は理念ではなく“服従と抑止の仕組み”である

    国際秩序は、 法や価値観で維持されていると信じられている。 しかし現実の秩序は、

    力ある者が作り、 従うしかない者が受け入れている構造

    で成り立っている。

    制度や法は その支配を正当化し、 支配される側が安心するための 言語化された舞台装置に過ぎない。

    秩序とは 合意や正義ではなく、 恐怖と均衡 の産物である。


    7.2 国際会議は“現実を隠す劇場”である

    サミット、国連、国際フォーラム。 そこでは理性的な言葉が並べられ、 国家は文明と協調を演じる。

    しかしこの舞台の裏側では、 資源争奪、軍事圧力、経済制裁、スパイ活動が 絶えず動いている。

    国際会議とは、 国家の本性を隠し、 建前を演じる場所 である。

    国家の本当の交渉は 舞台の裏で行われる。


    7.3 秩序の破壊者はむしろ“現実の語り手”である

    中国やロシアは 国際秩序を破壊していると言われるが、 実際には 秩序の本質を露わにしているだけ である。

    国際法の拘束力がないこと、 制裁が意志を変えないこと、 正義は立場で変わること。

    これらを行動で示したことで、 世界は秩序の虚構性を 認めざるを得なくなった。

    皮肉にも、 秩序を破る者が 秩序の本質を教える役割を果たした。


    7.4 “善人のふりをする秩序”は最も危険である

    秩序は 人権や自由や正義という言葉で 装飾される。

    しかしそれが 力の支配や排除を隠している時、 最も危険な暴力となる。

    西側の秩序は 価値観を武器にし、 従わない国を“悪”として扱う。

    価値観が暴力の衣になった瞬間、 秩序は抑圧装置へと変わる。


    7.5 秩序を理解できる国とできない国は“別世界”に住んでいる

    秩序を理念ではなく国家の生存を支える仕組みとして理解している国は、表向きの言説に惑わされず、国際政治の裏側にある力関係を読み取ることができる。

    ここでいう秩序とは、正義や価値観ではなく、力・抑止・均衡によって維持されている安定状態を指す。

    理解できない国は 制度や言葉を真に受け、 現実に対する防御力を失う。

    日本や欧州の弱みは この“秩序の非現実性”を直視できないことにある。

    国家は秩序を信じるのではなく、 秩序を 使いこなせるか で強さが決まる。


  • 第6章 民主主義は国家を弱体化するのか


    6.1 民主主義は“国家の力”と“国民の幸福”を交換する制度である

    民主主義は国民に自由と権利を与えるが、 国家の将来の生存に不可欠な長期的な負担や痛みを、社会全体で引き受けることを難しくする。

    人々は国家より自分の生活を守ることを優先し、 政治は人気取りの競争になり、 長期戦略より短期的利益が重視される。

    つまり民主主義とは、

    国民の幸福を最大化する代わりに 国家の生存能力を引き換えにする仕組み

    なのである。

    国民にとっては魅力的だが、 国家にとっては危険な制度でもある。


    6.2 “国民が国家を縛る”という逆転が生じる

    専制国家では、 国家が国民を支配し、 国家が死ねば国民も死ぬ。

    しかし民主主義では逆転が起きる。 国民が国家を縛り、 国家が国民の支持なしに動けなくなる。

    この構造は 平時には幸福を生むが、危機の時には 国家の致死的な遅さ として現れる。

    意思決定の遅延、 防衛投資の忌避、 犠牲への拒否。

    民主主義国家が 外圧に弱いのは理論の欠陥ではなく、 制度が生存戦略として 自己矛盾を抱えているからだ。


    6.3 民主主義が強かった時代は“例外状態”である

    20世紀後半、 民主主義国家は繁栄した。 しかしそれは 民主主義が強かったからではなく、

    国際環境が民主主義国家にとって 異常に有利だったから である。

    戦後の安全保障は アメリカが核で守り、 経済はグローバル市場が開き、 軍事力を持たなくても 生存できる時代が続いた。

    民主主義が強かったのではなく、 他人が守ってくれた時代だっただけ なのだ。

    だから今、 国際環境が変わると 民主主義国家は急速に脆さを露呈している。


    6.4 民主主義は戦時には“致命的になりうる”

    戦争は犠牲と意思の競争である。 しかし民主主義では 国民が犠牲を拒否し、 政治はそれを説得できない。

    だから民主主義国家は、 本格戦争の前に 外交や譲歩を優先しがちになる。

    その心理的基盤には「戦わずに済むなら戦わない方が良い」 という信念がある。

    これは人間としては真っ当だが、 国家の生存戦略としては弱さである。


    6.5 民主主義国家の生存には“成熟した国民”が必要になる

    民主主義が生存できる条件はただ一つ、 国民が現実から逃げないこと である。

    自由を享受しながら 犠牲を受け入れ、 議論をしながら 意思決定を恐れず、 快適さの中にいても 国家の危機感を失わない。

    言い換えれば、

    民主主義は国民の人格が国家の運命を決める制度である。

    国民が幼ければ国家は滅ぶ。 国民が成熟すれば国家は生き残る。

    日本も欧州も今試されているのは 制度ではなく 国民の成熟度 である。

    民主主義は 国家を弱くするが、 同時に国民を強くできる。 そこに生存の可能性がある。


  • 第5章 中国とロシアが示した“現実の世界秩序”


    5.1 中国は秩序の否定者ではなく、秩序の再定義者である

    多くの人は中国を 国際秩序を壊す国と理解している。 しかし実態は違う。

    中国は秩序を破壊しているのではなく、 自らの生存に有利な秩序へ書き換えようとしている。

    西側が作った価値観や制度は 中国にとって不利な枠だった。 だから中国は 自由や人権や市場という言語を用いず、 権力・統制・覇権 を軸にした秩序へ 世界を再構築しようとしている。

    中国は近代国家の暴露者である。 国家が本質的に 理念の共同体ではなく 支配の装置であることを 露骨に示した。


    5.2 ロシアは“文明の仮面を剥がす役割”を果たした

    プーチンによるウクライナ侵略は 単なる領土拡張ではなかった。

    それは 文明が国家の本性を抑え込んでいるという幻想 を破壊する行為だった。

    世界は最初、 国際法や制裁で止められると思った。 しかし国家は止まらず、 理性の言語は通用しなかった。

    ロシアは 世界秩序の「本当のルール」を あからさまに示した。

    国家は生存のためなら暴力を使い、 正義はそのために捏造される。

    この事実を認められない国が 最も無力になる。


    5.3 なぜ国際社会は何もできなかったのか

    ウクライナ侵略を止められなかったのは、 国際社会が弱かったのではなく、 世界が本来そういう仕組みで動いているから である。

    国際法には 強制力がなく、 制裁は国家意志を変えず、 道徳的非難は何も生み出さなかった。

    それでも人々が 「秩序は守られている」と信じたいのは、 真実を認めれば 世界が危険だと気づいてしまうからだ。

    無力な制度に期待することは 安心のための自己欺瞞である。


    5.4 中国とロシアは“劇場の裏の世界”を理解している

    中国もロシアも、 国際会議や価値観論議を 本気で信じていない。

    彼らが信じているのは 力・恐怖・抑止・報復・生存 という言語である。

    だから彼らは 制度や法律を無視しても、 恥じるどころか それを戦略として使う。

    西側は制度に依存し、 彼らは力の素顔を理解している。

    どちらの世界理解が 現実に近いかは ウクライナ侵略が示したとおりである。


    5.5 “善人のふりをする国家”が最も危険である

    西側国家は、 自由や正義や人権を掲げるが、 その裏で 制裁、経済支配、軍事圧力を用いる。

    中国とロシアは 善人の仮面を被っていない分、 まだ正直である。

    むしろ危険なのは 自分を正義だと信じながら 覇権を追求する国家 である。

    価値観という衣をまとった力は、 最も見えにくい暴力になりうる。

    この構造を理解できない国は、 国際政治の舞台で 永遠に利用される側になる。


  • 第4章 アメリカは日本をどう捉えてきたのか


    4.1 戦後の日本は“管理すべき地域”だった

    1945年の敗戦直後、 アメリカにとって日本は 民主化すべき国でも、 対等なパートナーでもなく、

    アジアの安定を維持するための、 管理対象だった。

    米国は日本社会の再軍備を恐れ、 同時に共産圏の拡大を防ぐため 日本を自陣営の足場として利用しようとした。

    日本は安全保障上「必要」だったが、 意思を持っては困る存在だった。 その結果生まれた統治制度は、 日本が自分で決められないようにする枠組み だったのである。


    4.2 経済的繁栄は“従属の引換券”として許された

    高度成長期、 アメリカが日本の経済発展を支えたのは 日本が脅威にならない限りでの話だった。

    輸出は許されたが、 自立した政治権力の成長は望まれなかった。

    これは、 日本の繁栄が自由だったのではなく 「管理された繁栄」であったことを意味する。

    日本は豊かになるほど、 権力の中枢を米国の傘に依存した。 繁栄は報酬であり 従属を維持するための手段でもあった。


    4.3 安保と核の管理は“統制の仕組み”だった

    アメリカが日本の核保有を拒み続けた理由は 軍縮ではなく 統制 にある。

    核は 自らの生存を自分で決める権限の象徴であり、 国家意志そのものである。

    日本が核を持てば、 米国は日本を完全にコントロールできなくなる。

    だからアメリカは 日本の軍事力の増強には一定程度賛成しつつも、 核の中枢権は絶対に渡さなかった。

    日米同盟は 保護の枠組みであると同時に 統制のシステムだった。


    4.4 日本が主体性を持つことはアメリカの利益と衝突する

    日本が自立し、 自分の地域秩序を作り始めれば、 アメリカの影響力は縮小する。

    だから日本が強くなることは 歓迎されながらも、 強くなりすぎることは阻まれてきた。

    日本が国家意志を持たず 自立できない状態は、 アメリカにとって安定的で 予測可能で 管理しやすかった。

    これは陰謀論ではない。 地政と覇権の文法が生んだ合理的結果 である。


    4.5 今、日本はアメリカにとって“意図せず厄介な国”になり始めている

    世界の構造が変わり、 アメリカは自らの力を 世界へ分散して維持できなくなりつつある。

    その時、日本が 防衛への覚醒を見せ、 国家意志を求め始めたことは、 アメリカにとって 便利であると同時に 不都合でもある。

    なぜなら、 日本が意志を持って動き始めれば、 アメリカはそれを制御できなくなる可能性があるからだ。

    つまり、 日本は再びアメリカの想定外の位置に立ちつつある。

    日本がどこまで自立するのか。 そしてアメリカはそれを許すのか。 この緊張は、これからの国際秩序の 重要な軸となるだろう。


  • 第3章 なぜ日本は自立できなかったのか


    3.1 敗戦が生み出した“国家意志の空洞化”

    1945年、日本は軍事的敗北と占領を経験した。 その瞬間、国家の意志は停止し、 生存を自力で決める権利が奪われた。

    問題は、敗戦そのものではなく、 “敗戦の精神的な後遺症”が 日本人の政治意識から国家意志を消し去ったことにある。

    戦争と軍事を語ることが タブー化され、 防衛を議論することが 軍国主義と同一視され、 結果として国家の基礎である 自分の生存を自分で守る覚悟 が 社会から抜け落ちた。

    敗戦から立ち上がることはできたが、 国家意志だけは 戦後の精神構造に封印されたままだった。


    3.2 憲法と教育が“依存思考”を培養した

    戦後の憲法は、 国家の武力行使を否定し、 価値としての平和主義を掲げた。

    その理念は国内統治には有効だったが、 同時に、 国家は自ら生存を担う必要がない という錯覚を国民に植え付けた。

    教育も同様だった。 戦争の悲惨さは教えても、 生存を守る国家の責任 は教えなかった。

    結果として日本人は、 平和は「努力の結果」ではなく 「誰かが与えてくれる状態」だと理解してしまった。

    この思考の内面化が 戦後の繁栄を支えた一方で、 国家の骨格を軟弱にした。


    3.3 経済繁栄が“国家の虚弱”を覆い隠した

    高度成長は、 日本人に自信を取り戻させたが、 それは強さの回復ではなく 依存の成功形態 に過ぎなかった。

    日本の繁栄は 輸入資源と輸出市場に依存し、 安全保障はアメリカに依存し、 エネルギーは中東と海上輸送路に依存した。

    豊かになるほど、 人々は依存の構造を忘れ、 「日本は強い国」だと錯覚した

    経済の成功は日本を救ったというより、自立の欠如を覆い隠す機能を果たしてきた。


    3.4 アメリカとの同盟は保護と拘束の両面だった

    日米同盟は 日本の安全保障の柱であると同時に、 日本の国家意志を拘束する枠組みでもあった。

    アメリカが守ってくれるという認識は、 自前の安全保障能力を 育てる意志を弱らせた。

    そしてアメリカにとって日本は、 アジアの戦略基盤として 従属的であるほど扱いやすい 存在だった。

    日本人は 同盟を平等な関係だと信じたが、 現実は 日本が守られる代わりに 主体性を放棄する契約 だった。


    3.5 日本は“繁栄した依存国家”として固定化された

    こうして日本は、 経済と文化では成熟して見えるが、 国家としての骨格は他者に支えられたままの 従属的繁栄モデル に固定された。

    この構造が日本を弱くしたのではない。 日本を 永続的に弱いままにした のだ。

    だから国民がどれだけ変革を望んでも、 国家の方向性は 依存の文法に従って動く。

    その意味で、 日本は自由で豊かな国でありながら、 国家としては未完成である。

    そして今、日本社会は その矛盾に気づき始めた。 国際情勢が厳しくなるほど、 日本の「国家としての問題」が 露わになっている。


  • 第2章 「真の独立国家」はどれだけ存在するのか


    2.1 独立国家の条件とは何か

    教科書的には、主権を持ち、国境を管理し、外交権と軍事権を有する国は 「独立国家」とされる。 しかし現実には、その条件を満たしてもなお、 独立しているとは言い難い国が大多数である。

    真の独立国家とは、 自分の生存を他者に依存せずに維持できる国 を意味する。 資源、食料、エネルギー、軍事、技術、人口、統治意志 — このすべてを自国で調達・統制できる国家は驚くほど少ない。

    国際社会に存在する200近い国家の大部分は、 表面上の主権はあっても、 背後に“スポンサー国家”が存在し、 安全保障、経済、外交のいずれかを 他国に依存している。

    この意味で世界は、 国家が林立しているように見えて、 その実態は 多層的な従属の階層構造 をしているのである。


    2.2 資源と人口を持つ国だけが“自力で生きられる”

    生存の基盤は理念ではない。 物質資源と人口 である。

    石油、ガス、水、食料、鉱物にアクセスできない国は、 どれだけ豊かでも独立できない。 同様に、人口規模が小さい国は 軍事的・産業的自立が不可能であり、 必ずどこかの勢力圏に取り込まれる。

    資源と人口がそろった国だけが、 自前の経済圏と安全保障を形成できる。 だからアメリカ、中国、ロシア、インドは生存できる。 逆に日本、韓国、台湾、EUの多くは 繁栄しているように見えているが依存国家 である。

    独立とは制度ではなく、 自力で生きられるかどうか で決まる。


    2.3 アメリカ・中国・ロシア・インド・フランス — なぜ彼らは例外なのか

    これらの国々は、 歴史や文化ではなく 生存基盤の構造 において例外である。

    アメリカは資源と技術を持ち、中国は人口と製造力を持ち、ロシアはエネルギー資源を背景に国家を維持し、インドは人口と将来の巨大市場を抱える。フランスは欧州では稀で、領土と食料生産力を備えた国家である。いずれも十分な国土を持っている。

    これらの国家は核を持っているが、核は手段の一つにすぎず、国家の本質は、資源と人口、十分な国土を基盤に自立して生存できるかどうかにある。

    彼らは他国が失敗しても自国を保てる。 だからこそ国際舞台で “自分の意思を押し通せる国家” として振る舞える。

    この意味で真の独立国家は 驚くほど少ない。 10にも満たない世界の支配層 である。


    2.4 日本はなぜ“強いのに従属国家”なのか

    日本は高度な技術力、教育水準、経済規模を持ちながら 自立国家になれなかった。 その核心は 生存資源の欠如 にある。

    食料、エネルギー、資源の大部分を 輸入に依存し、 核抑止力を米国に委ね、 防衛の根幹を同盟に頼っている。

    つまり日本は繁栄したが、 国家としての主権の中枢は外部にある。

    この従属構造は 敗戦後の制度だけでなく、 資源に欠けた島国としての地政が作った宿命でもある。

    そのため日本は 世界で尊敬されながら、 国際政治では 主体として振る舞うことができない対象 として扱われる。


    2.5 「独立」という幻想が国家の判断を狂わせる

    ほとんどの国は「主権国家だ」と信じている。 だが実際には、 軍事、資源、外交、安全保障のどれかを 他国の供給や承認に依存している。

    それにもかかわらず、自分を独立国家だと思うと、 国家は危機の兆候に鈍感になり、 “守られているから安全” という錯覚に浸る。

    日本やEUの多くの国がそうであるように、 自立できないのに自立していると信じる国は、 最も危険な形で無防備になる。

    この錯覚を破壊することが、 本書の目的のひとつである。 世界は対等な国家が対話する場ではなく、 生存力の階層が支配する戦場である。


  • 第1章 国家は生存体である — 理性ではなく本能で動く


    1.1 国家は誰のために存在するのか

    国家とは国民の幸福のために存在する、 そう信じたい人は多い。 しかし歴史と現実を見れば、 その考えは事実ではないことがわかる。

    国家はまず 自分自身の生存のために存在している。 国民の幸福は、国家の存続に役立つ時にのみ優先される。 国家が危機に陥れば、 その瞬間に自由は制限され、財産は徴収され、 命さえも動員の対象になる。

    戦争、徴兵、非常事態宣言、言論統制 ― これらは国家が国民を守るためではなく、 国家そのものが死ぬことを恐れるから発動される。

    つまり国家とは、 国民や理念を守る存在ではなく、 自己保存を最優先する生物 である。 この視点を持てば、国家の行動は驚くほど一貫して見える。

    国民は国家を信じたい。 だから国家は国民の幸福を語る。 だがその物語は、生存の本能を覆うための語りに過ぎない。


    1.2 理念や正義は国家の道具である

    国家は自由、平和、正義、民主主義、人権を掲げる。 しかし実際に国家を動かしているのはそれらの理念ではない。 理念は、国家の生存と利益を正当化するための 装飾 である。

    戦争はいつも理想の名の下で行われる。 「平和のため」「解放のため」「正義のため」 だがその裏では、 資源の確保、安全保障、領土的影響力の拡大といった 国家の生存意図が働いている。

    理念で国家を説明しようとすると行動が矛盾して見えるが、 国家を “生存体” として見れば、 その矛盾はすべて整合する。

    国家は理念で動くのではなく、 理念を利用して自分を動かす。


    1.3 秩序は法ではなく力で決まる

    国際秩序は法によって守られていると言われるが、 それは虚像であり、 実際には 力によって秩序は成立している。

    法を破る国家を処罰できる仕組みは存在しない。 国際法は宣言の体系であって、 権力の裏付けを持たない。

    戦争が起きないのは法があるからではなく、 戦争が割に合わないから であり、 これを決めているのは 軍事力・核抑止・経済圧力・相互依存といった 力の構造である。

    つまり秩序とは理念ではなく 均衡 によって成立し、 その均衡を崩す力がある国は 法や制度を無視しても罰されない。

    国家が法を語るのは、 支配を正当化するため である。 現実を形作るのは力であって、法ではない。


    1.4 国際社会は生存競争の場である

    国家の関係は、表面上の外交用語とは異なり、 互いが 利益のために利用しあう関係 で構成されている。

    友好国、同盟国、パートナーという言葉は、 生存利益が一致している期間だけ成立する。 利益が分かれた瞬間、 同盟は対立へと変わり、 友好は損得勘定に戻る。

    この意味で国際社会は 野生の生態系 に似ている。 捕食者と被食者、 共生と競合が常に入れ替わる空間であり、 そこに永続的な善悪や信義は存在しない。

    生存の利益を基準に見る人だけが、 国際政治の“裏の地図”を理解できる。


    1.5 本質を忘れた国家は弱者になる

    国家が理念や議論の世界に酔うとき、 その国家は世界の現実に対する 免疫を失う。

    日本やドイツは 「文明国家」「平和主義国家」という物語を信じ、 国家の骨格である 自立性、防衛意識、犠牲の受容を忘れた結果、 経済は強いのに国家は弱い という構造に陥った。

    国家の本質とは 自分の生存を自分で守れるかどうかであり、 これが欠けている国は どれほど繁栄しても 本質的には弱者国家である。