カテゴリー: 政治

  • 序章 世界はなぜ真実から目を逸らすのか


    0.1 文明は薄い膜にすぎない

    私たちは長い間、文明や秩序によって世界は理性的に運営されていると信じてきた。 国際法、民主主義、人権、対話といった概念は、人類がたどり着いた「高次の意識」であり、 社会は議論と制度で調整される、そう教わってきた。

    しかしその見方は、巨大な誤解の上に成り立っている。 文明は、国家の本質を変えるものではなく、 国家の本能的行動を覆い隠すための薄い膜 にすぎない。

    国家は、自分と国民を生かすためならば、 資源を奪い、領土を拡張し、他国を操作し、時に虐殺さえ正当化する。 その行動を「理性」や「秩序」として説明することは、 本能の発動を美しく包装しているだけである。

    文明が国家を変えたわけではない。 文明とは、国家の本性を隠す装飾である。 だから秩序は、理念ではなく 力の均衡 によって保たれる。

    その膜が破れた瞬間、 国家の本性はむき出しになり、「空転する議論文化」の世界がただの演劇だったことに気づかされる。 これが現代の国際政治の出発点である。


    0.2 空転する議論文化が世界を麻痺させた

    冷戦後の数十年間、国際社会は「話し合いの世界」だと錯覚した。 国連、G7、G20、サミット、フォーラム ― そこで交わされる理性的な言葉は、 世界が成熟し、暴力は過去のものになったという幻想を支え続けた。

    しかし議論とは、 秩序を生み出すのではなく、 秩序が存在している“ふり”をさせるための舞台装置だった。

    プーチンがウクライナに侵攻したとき、 世界はその舞台装置が無力であることを思い知らされた。 制裁は戦争を止めず、国際法は破られても何もできなかった。 つまり国際社会は、本質が動いたときに何もできない世界 だった。

    この事実は、世界が議論と制度で動いていないことを暴露した。 それでも人々は議論を続ける。 なぜなら、議論の劇場を閉じてしまえば、 国家というものが本質的に“獣のように生存を争う存在”であることが 露わになってしまうからだ。

    人類はその現実に耐えられない。 だから議論を続け、制度を語り、価値観を繰り返す。 それは現実の拒否であり、真理からの逃避でもある。

    ここから本書が扱う核心が立ち上がる。

    世界は理性の劇場ではなく、 生存という本能によって動いている。

    この事実に目を向けることが、 国家と世界の本質を理解する第一歩である。