4.1 交換可能になった瞬間、価値は変わる
あるものが交換可能になるとき、 その価値は静かに、しかし決定的に変化する。
交換できないものは、 それが失われるまで価値が意識されない。 しかし交換できるものは、 性能・価格・耐久性で比較され始める。
身体も同じである。
一度でも 「この部位は取り替えられる」 と理解された瞬間、 それは不可侵の存在ではなくなる。
大切にされなくなるわけではない。 むしろ管理され、最適化される。
しかしその扱いは、 敬意ではなく、 仕様の問題へと近づいていく。
4.2 ベンツの足、ツァイスの目という世界
身体が交換可能になる社会では、 会話の言葉遣いが変わる。
速く走れる足。 長時間疲れない関節。 暗所でもよく見える眼。
それらは、 「私の身体」ではなく、 「選んだ装備」として語られる。
どのメーカーの足か。 どの世代の眼か。 アップデートはいつか。
ここでは、 身体はもはや運命ではない。 選択の結果である。
そして選択の世界では、 必ず比較が生まれる。
4.3 性能・価格・ブランドで語られる身体
比較が始まると、 価値の言語は急速に単純化する。
性能。 価格。 信頼性。 ブランド。
それは家電や車と同じである。
一時的には、 高性能な装備は優越感を与える。 しかしそれは長く続かない。
次の世代が出る。 より安価な代替品が現れる。 誰もが同じ水準に追いつく。
すると身体は、 誇る対象ではなく、 前提条件になる。
この段階で、 身体は完全に「モノ」になる。
4.4 身体が商品になる社会で起きること
身体が商品になると、 人は身体に意味を見出さなくなる。
速く走れること。 よく見えること。 強く、壊れにくいこと。
それらは 「できて当たり前」になる。
すると、人の関心は別の場所へ移る。
比較できないもの。 仕様に落とせないもの。 買い替えられないもの。
身体が商品化された社会では、 身体以外の領域に価値が集中する。
この変化は、 人間が冷たくなったことを意味しない。
むしろ、 どこに人間性が残っているのかを はっきりと浮かび上がらせる。
次の章では、 この流れの中で、 生体の更新―とくに再生医療が どのように位置づけられるのかを考える。
身体がモノになる一方で、 「私」が失われない理由が、 そこに現れる。