第5章 生体の更新と「私」の連続性


5.1 iPS細胞が変えた生命観

再生医療、とりわけ iPS 細胞の登場は、 単なる医療技術の進歩ではなかった。 それは、生命に対する前提そのものを書き換えた。

それまでの生命観では、 分化した細胞は基本的に元に戻らない、 身体は不可逆に老いていく、 という暗黙の了解があった。

iPS 細胞はそれを否定した。 細胞の運命は固定されておらず、 情報によって再び書き換えられる。

この発見が示したのは、 身体が「一度きりの素材」ではなく、 更新可能なプロセスであるという事実である。

ここで重要なのは、 再生された組織が 「別物」ではないという点だ。

遺伝的にも、免疫学的にも、 それは自己であり、 外部から持ち込まれた機械とは性質が違う。


5.2 生体の再生成は、なぜ機械とは違うのか

人工関節や義肢は、 機能を代替する装置である。 それに対して、 再生された生体組織は、 身体の内部から連続している

ここに、 機械的代替との決定的な違いがある。

機械は、 取り付けられた瞬間から 「外部のもの」として存在する。 一方、生体は、 時間をかけて 身体の一部として溶け込む。

この違いは、 「私」という感覚にも影響する。

機械は装備であり、 生体は更新である。

この区別がある限り、 身体が変わっても、 「私が変わった」という感覚は生じにくい。


5.3 すべてを換えても「私」と言える理由

仮に、 脳以外の臓器が 少しずつ、あるいは一気に すべて置き換えられたとしよう。

それでも多くの場合、 本人はこう感じる。

「私は私のままだ」と。

この直感は、 感情ではなく、構造に基づいている。

私たちが 「私」と呼んでいるものは、 部品の同一性ではない。

昨日の経験を覚えていること。 過去の自分を自分として引き受けていること。 未来の自分を、自分として想像できること。

つまり、 経験の時間的連続性である。

身体がどれほど変わっても、 この連続性が断たれない限り、 同一性は保たれる。


5.4 経験の連続性という唯一の条件

ここまで来ると、 「私とは何か」という問いは、 かなり絞り込まれてくる。

私とは、 特定の物質でも、 特定の形でもない。

それは、 途切れず更新され続ける 一人称の経験の流れである。

だから、

  • 身体が若返っても
  • 臓器が変わっても
  • 感覚器が装備になっても

経験が連続している限り、 「私」は失われない。

逆に、 身体がまったく変わらなくても、 経験の連続性が断たれたとき、 人は直感的に 「同じ人ではない」と感じる。

この事実は、 次の章への重要な伏線になる。

なぜなら、 脳だけは、 この連続性を直接担っている からである。