10.1 技術が進んでも変わらない条件
本書では、 思考の外注から始まり、 身体の代替、商品化、 そして脳という別物へと視線を移してきた。
その過程で見えてきたのは、 技術が進んでも、 人が人であるための条件は 思ったほど増えも減りもしない、という事実である。
速く動けること。 よく見えること。 長く生きられること。
それらは確かに重要だが、 人間性の中心ではない。
中心に残るのは、 経験の連続性と、 意味を引き受ける主体であること。
この条件が保たれている限り、 人はどれほど身体を更新しても、 自分を失わない。
10.2 人間はどこまで装備化されるのか
今後、身体はさらに装備化されていくだろう。 性能は上がり、 制約は減り、 個体差は縮小する。
そのとき、 人は「人間らしさ」を 装備の中に探さなくなる。
装備は前提になる。 人間性は、 その使い方の中に現れる。
どの足で走るかではなく、 どこへ向かうか。 どの眼で見るかではなく、 何を見ようとするか。
装備化は、 人間性を消すのではない。 人間性の場所を、より露出させる。
10.3 それでも残る「私」という感覚
ここまで削ぎ落としても、 最後に残るものがある。
それは、 「私がここにいる」という感覚である。
この感覚は、 証明できない。 他人に完全には共有できない。 装置に委ねることもできない。
しかし、 この感覚があるからこそ、 人は選び、 迷い、 責任を引き受ける。
「私」という感覚は、 機能ではなく、 結果でもなく、 立場である。
この立場に立ち続ける限り、 人は人であり続ける。
10.4 思考を続けるための問いとして
本書は、 「私とは何か」という問いに 明確な答えを与えない。
それは、この問いが 解かれるべき問題ではなく、 引き受け続けるための問いだからである。
技術が進み、 身体が自由になり、 思考が外部化されても、 この問いだけは残る。
むしろ、 進歩すればするほど、 この問いは より静かに、より鋭く 立ち上がってくる。
それでよい。
問いが残るということは、 主体が残っているということだからである。